本の虫の種々雑多

本に関係あることないこと書いていきます。

貘の檻

どうも、こんにちは。

またまた、期間が空いてしまいました。

 

さて、今日はクリスマス・イブですね。

皆さんはどのようにお過ごしでしょうか?

友達、家族、大切な人と一緒に楽しい時間を過ごされる方も、クリスマスなど我関せず、いつもと変わらぬ時間を過ごされる方もいると思います。

そんな皆さんに紹介する、今日の本はこちら!

 

貘の檻 (新潮文庫)

貘の檻 (新潮文庫)

 

 道尾秀介さんの、「貘の檻」です。

はい、そうです。読んだことがある方はお分かりかと思いますが、クリスマスとは何の関係もございません。

前振りでクリスマスに触れているから、それに関係する小説なんだろうな、と思った方がいたらごめんなさい。

内容は、はっきり言ってその真逆。実に暗いお話になっております。

クリスマスに暗いお話を紹介していると人間性を疑われそうですが、そのことは脇に置いておきましょう。

道尾秀介さんの作品には、大きく分けて本格ミステリと伝奇ホラーの二つがあると思うのですが、今作は後者のホラー小説の色合いが濃い作品になっています。

 

主人公の大槇辰男は、息子との面会の帰りに、駅のホームで32年前に自分の父親が殺したはずの女性、曾木美禰子を見かける。驚きも束の間、次の瞬間、彼女は電車にはねられて死んでしまう。大槇は息子を連れて、自分と美禰子の故郷であるO村へと向かうことを決めるのだが、そこには悲劇が待ち受けているのだった……。

 

あらすじはこんな感じですね。

いやー、あらすじを書いてるだけでも、やっぱり暗い。

でも、その暗さ、人間の持つ根源的な暗さを見事に描き出して、最後には小さいながらも一筋の希望を示してくれるのが、この作品に限らず、道尾作品に共通する良いところだと思います。

道尾さんの作品には、素晴らしいものがたくさんあるので、また別の機会にいろいろと紹介していきたいと考えております。

さて、それでは、この小説の参考にしたい部分を書き出していきます。

  1. 不幸な境遇をもつ登場人物
  2. ゆうべの夢は貘にあげます
  3. 主人公が見る夢の描写
  4. ボタンの掛け違え
 
1・不幸な境遇をもつ登場人物
 これはこの作品だけでなく、ほかの道尾作品にも共通する特徴です。道尾さんが作りだす登場人物は、たいていがとても不幸で困難な境遇に置かれています(そんなことないよと思う方がいるかもしれませんが、私からすれば十分辛い)。そして、次第に追い込まれていく登場人物たちの心の動きが、非常にリアルに真に迫って描き出されています。今作でいえば、主人公の大槇は、一年前に離婚し、息子に会えるのは月に一度だけ。しかも仕事を失い、心臓の病気のために薬を服用しており、自殺未遂まで起こしています。これだけでも、私ならくじけてしまいそうな状態なのに、この後さらに過酷な状況へと追い詰められていきます。私は登場人物を作るときに、どうしても甘くなりがちといいますか、そこまで苦しめる必要はないと考えてしまって、どこか手加減してしまっているところがあります。でも、それでは物語が中途半端になり、その登場人物が存在する意味が薄まってしまうことがあるのだと、道尾さんの作品を読むと感じます。たとえ、登場人物を絶望のどん底に突き落としたとしても、そこから這い上がる希望を与えることで、作品に深みが出るのだと思います。
 
2・ゆうべの夢は貘にあげます
 この台詞は、主人公の大槇がプロプラノロールという心臓病の薬を飲み込んだときにつぶやくものです。
 ゆうべの夢は貘にあげます
 ゆうべの夢は貘にあげます
 ゆうべの夢は貘にあげます
 この台詞をつぶやく意味は、後述するとして、このように三行並べてみると、とても印象的になります。当たり前ですが小説という媒体は、映画、ドラマ、漫画、アニメなど、ほかの媒体と違い、文字だけで表現するものです。例えば、漫画であれば台詞として文字もありますが、絵だけで読者に強烈なインパクトを与えることが可能です。しかし、小説には文字しかありません。ただ、これは弱みでもあり、強みでもあると私は思います。その文字の持つ強みを、この台詞は端的に表しています。道尾さんは小説でしかできないことを大切にして小説を書かれているのですが、これもその一つだと思います。同じ文章を三回繰り返すことによって、読者に強い印象を与える。私も、意識していきたいと思います。
 
3・主人公が見る夢の描写
 先ほど述べた、「ゆうべの夢は貘にあげます」という台詞を主人公がつぶやいた後、現実の描写とは違う、幻想的な夢の描写が書かれていきます。これは主人公が薬を飲んだ影響で眠ってしまった後に見る悪夢なのですが、その描写が隠喩的で何を表しているのかが判然としません。主人公の過去の辛い出来事が悪夢となって襲い掛かってきているのでしょうか。ただ、この悪夢の解釈は、単純に一つの答えを読者に提示するのではなく、各々が自分で考えて答えを出す(いや、別に出す必要はないか)ものだと思います。私は、特に第四章の最後に書かれている悪夢が好みなのですが、皆さんはいかかでしょうか?この悪夢の部分だけでも、短編の小説になりそうですね。気になる方は、読んで確かめてみて下さい。
 
4・ボタンの掛け違え
 あまり詳しく書くとネタバレになってしまうので、詳細は省きますが、この物語はそれぞれの登場人物の少しの気持ちのずれ、勘違いが大きな悲劇へとつながっていってしまいます。もし、ほかの人間の気持ちを知ることができたなら、あのような悲劇にならずに済んだのかもしれないですが、それは土台無理な話。自分でさえ自分の本当の気持ちに気づけないことも、ざらにありますから。ここで参考にしたいのは、登場人物が善意でした行動が、相手にとっては悪意に感じられてしまうということ。現実でも相手のためを思ってしたことが裏目に出ることって、よくありますよね。ある登場人物の視点では良い行いをしているつもりでも、別の人物からすれば最悪の事態を招く行いだったということが、最後で明かされるという構造の小説を書いてみたいと考えています。
 
それでは、今日はこのくらいで失礼させていただきます。
もしかすると、この作品は読む人を選ぶかもしれませんが、ぜひ読んでみて下さい。
 
 ゆうべの夢は貘にあげます
 ゆうべの夢は貘にあげます
 ゆうべの夢は貘にあげます
 
 メリー・クリスマス!
 

砂漠

前回の投稿で、あれほど威勢よく言い放っていたにもかかわらず、ここまで時間が空いてしまいました。

やはりそう簡単に人は変われないようです。申し訳ありません。

 

と、卑屈になるのはここまでにして、今日の本題に入っていこうと思います。

このブログで一番最初に紹介する小説は、これ!!!

 

砂漠 (新潮文庫)

砂漠 (新潮文庫)

 

 読んだことがある方も多いんじゃないでしょうか?

伊坂幸太郎さんの名作、「砂漠」です。

内容を簡単にまとめると、大学生5人の男女がいろいろな出来事や事件を巻き起こす青春小説。

こう書いてしまうと、どこにでもある物語だと勘違いしてしまいそうですが、そこはさすが伊坂さん。

まず、普通の大学生活においては起こらない(私の大学生活が地味すぎただけかもしれませんが)、時にばかばかしく、時に心がグッと締め付けられる出来事が絶え間なく発生します。

思えば、私がこの本を初めて読んだのも、大学一年生の頃でした。確か夏休みが始まる少し前だったと思います。これからの大学生活にはこんなに楽しい出来事が待っているのかもしれないと、妄想した記憶があります。

次に、何よりも登場人物がみんな魅力的。

冷静な物語の語り手、北村。

ぎゃははと笑う、やませみのような髪型の鳥井。

変人、でも実は一番かっこいい西嶋。

クールビューティー、東堂。

そして、私がこの小説の中で一番好きな人物が、シャイだけど縁側にいる猫のような顔で笑う、南。

彼女は、鳥井の中学校時代の同級生なのですが、なんと超能力の持ち主なのです。

おとなしいけど、笑顔が素敵で超能力者。とても魅力的な人物だと思いませんか?

ここまで読んできて、お気付きかもしれませんが、彼らの名前には東・南・西・北(鳥井は除く)の漢字が使われています。

この漢字が意味するのはそう、麻雀ですね。

南は、麻雀の猛者でもあるのです。実は、私もたしなむ程度に麻雀をやっているのですが、なかなか自分の欲しい牌を持ってこられません。その点、南は欲しいと思った牌をツモり、危ないと感じた牌を捨てても振り込まないという、まさに麻雀の神様に愛されたような力を持っています。小説の登場人物と言ってしまえばそれまでですが、ぜひ弟子入りをして麻雀について教わりたいものです。

と、話が脱線してしまいましたね。

このブログの目的は、小説家志望の視点から、その本の良さを紹介することです。

ここからは、この小説の参考にしたい部分を書き出していこうと思います。

  1. 章のタイトルが春夏秋冬になっている。
  2. なんてことは、まるでない。
  3. 名言のセンス
1・章のタイトルが春夏秋冬になっている。
 これは他の小説でもよく見かけるタイトルの付け方ですが、一味違うのが季節が一つ進むごとに、彼らの学年も一つずつ上がっていくところ。初めて読んだときは、春の章から夏の章へ移った時、そのまま学年は同じと思って読んでしまいました。後で気が付いたときにやられたなあと、素直に思いました。このように、章のタイトルもなんとなくつけるのではなくて意味を持たせて、それに一工夫加えて読者を驚かせるようにしたいですね。
 
2・なんてことは、まるでない。
 このセリフは、主人公の北村がよく心の中でつぶやく言葉なのですが、とても印象に残ります。なぜなら、この言葉自体は否定の意味ですが、この言葉で否定したことは後に事実になるからです。例を挙げますと、北山が最初に他の登場人物たちと出会った新入生の飲み会のシーンの最後に「何事にもさめている僕のその大学生活が、もしかすると彼らによって、劇的なものになるのかもしれない。そんな予感とも期待ともつかない気配を、その時の僕は感じていた。なんてことは、まるでない」とあります。その後の北村の大学生活が劇的なものになったかどうかは、言わずもがな。このセリフは物語の要所要所で登場します。そして、この小説のエピローグの最後の文は、「なんてことはまるでない、はずだ」という言葉で締めくくられています。どうして「はずだ」という言葉が付け加えられているのか?それはぜひこの小説を読んで確かめてください。
 
3・名言のセンス
 この小説に限らずですが、伊坂さんの小説には心に響く名言がたくさんあります。特に変わり者の西嶋が多くの名言を言い放っているのですが、例えば「その気になればね、砂漠に雪を降らすことだって、余裕でできるんですよ」や、「そうやって、賢いフリをして、何が楽しいんですか。この国の大半の人間たちはね、馬鹿を見ることを恐れて、何にもしないじゃないですか。馬鹿を見ることを死ぬほど恐れてる、馬鹿ばっかりですよ」などなど。私も漏れなくその馬鹿の一人なのですが、少なくとも行動する馬鹿になろうとこのブログを書いているところです。最後に、北村たちの卒業式で学長が語った名言をもう一つ。「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」。このように印象に残る言葉を生み出すところが、伊坂さんの魅力の一つだと思います。私も、読者の心に残る言葉を紡いでいきたいですね。
 
それでは、今日はこのくらいで失礼させていただきます。 

ぜひ、皆さんも一度手に取って、伊坂ワールドを楽しんでみてください。

それと最近、実業之日本社文庫から新装版が発売されたそうです。

私は新潮文庫の表紙が好きなのですが、こちらには伊坂さんのあとがきが新しく追加されているみたいですね。

私も、そのあとがきを読むためだけに、買ってみようかなあ。

 

 

砂漠 (実業之日本社文庫)

砂漠 (実業之日本社文庫)

 

 

決意表明

時間がない。
やる気がない。
才能がない。
そんな言い訳を誰に聞かれたわけでもないのに、自分自身にして勝手に夢を諦めてきた。
このまま夢を追うことをせず、平凡な日常の中に埋もれていく。
それでいいのか?
一度きりの人生、このまま終わってしまっていいのか?
その答えは、否!
否!否!否!!!
と、いうことでまずその足掛かりとして、このブログを始めてみました。
まずは、お前誰だ⁉って話だと思うので、簡単に自己紹介をします。
私、関西のある地方でしがない会社員をしております、小説家志望の人間でございます。
家の周りにあるのは、お寺や古墳ばっかりで、遊ぶところはほとんどありません。
あとは、鹿と戯れることぐらいしかなく…。
ここまでいえばほぼ答えを言ってしまっているに等しいですね(笑)

基本的によく読むのは、ミステリ、ファンタジー、SF、ホラー、恋愛などですね。
ただ、面白そうであれば、どんなジャンルも関係なく読みます。

 

自分よりも若い人がどんどんデビューしていく。

しかも、とても面白い、焦る、焦ってしまうのです。
でも、こんな気持ちになっても、それが続かないのが私のダメなところ。
まだいい、今じゃない、いずれなれるさ。
馬鹿野郎!
こんなんじゃいつまでたっても大法螺吹きのまま。
もし小説家になれたとしても誰も信じてくれない、オオカミ少年のように。
だから、私はこのブログを始めることで、己にプレッシャーをかけたいと思います。
つまりは、自分のため、そう、自分のためです!

このブログの目的は、小説家志望の視点から、個人的に選んだ私の好きな本に関して、その本の良さを皆さんに伝えながら、自分の成長につなげることです。

まあ、それ以外にも自分の趣味の話を書いていくつもりです。

こんな自己満足の塊のブログですが、よければお付き合いください。

どうぞよろしくお願いいたします。